痺証:リウマチに対してだけでなく他の病を考えるのにも使える大切な考え方

体を動かすために

はじめに

中医学(東洋医学の中の中国系の流派)の概念の中に“痺証”という考え方があります。
この考え方は中医学という狭い枠の中だけの特殊な考え方ではなくて
健康・医療という俯瞰的な視点から見ても
とても重要な考え方なのではないかと私は考えています。

痺証

痺証”というのは一般的に
リウマチベーチェット病のような関節炎を
引き起こすような膠原病
指していると解釈されています。

病気の中でも
ちょっと特殊な感じのする膠原病が
医療や健康という広い視野からみて
重要といわれてもピンとこないと思います。

まず、教科書から“痺証”の説明を抜き出してみましょう。

“痺証”

風・寒・湿の邪が合併して経絡をおかした病変で、しびれ・痛み・関節の運動障害などの特徴であり、とくに痺証と呼ぶ。元来気血が不足して経絡が空虚になっている場合に発症する
『第2版 中医学入門』神戸中医学研究会 編著

わかりにくいですね!!
怪しげな宗教団体の呪文や符牒のようです。

けれども、
このオドロオドロしい言葉も日常的な「からだ」の感覚から
立ち上がって育ってきた言葉たちです。

日々の日常から感じることから
たどりながら読んでみると
わかったような気になってくるはず
―と鍼灸師である私は考えています。

まず、
風・寒・湿の邪”ですね。
まず、“”とは、いわゆるウイルスや菌のように

外からやってきて人間の「からだ」に悪さをするもの

です。

“風・寒・湿”とはその邪の種類を指します。
症状が次々と変わったり他の人にうつったりする
変化のスピードの速いものを“風”、
「からだ」を冷やす傾向を持つものを“寒”、
浮腫んだり腫れたり痰や鼻水をする傾向の強いものを“湿”と
呼んでいたということです。

ここで、
注意したいのは“邪”は必ずしも
ウイルスや菌といった現在の感染症だけでは
ないということです。

寒波がやってきてすごく凍えて体調をくずした。
猛暑なので暑さにやられて熱中症になった。
―などの環境の変化なんかも含んでいたと考えられます。

当時、ウイルスや菌なんか見えなかったのはずです。
従って、
季節や移動などによってまわりの環境が変わることによって
「からだ」に異常を感じだすことがあれば、
何者かがやってきて私達の「からだ」に悪さをしている
―と感じただろうことが想像できます。

つまり、
“風・寒・湿の邪”は

環境の変化等で外側からやってきたストレス

であったということになります。
現在のPM2.5花粉症なんかもここにいれても良いのかしれません。

外邪と内邪

実は、この外側からやってきた“邪”
中医学の世界では“外邪”と呼びます。

外邪”があるのだから“内邪”もあります。

内邪”も人間の「からだ」に悪さをするものということは
同じです。違うのは、

内邪”が人間の内側で発生するものと考えられていることです。
つまり

人間の内側で発生して「からだ」に悪さをするもの

を“内邪”と呼んでいるのです。

恐らく“”という概念は最初、
外からやってくる外敵として意識されたのだと思います。
けれども、
自分の「からだ」の観察を繰り返すうちに

「アレアレ、自分の体にも“邪”みたいなものが勝手に湧いてくるぞ」

と気付いたのだと思います。

外に要因を探していたいた意識が、
なんらかのキッカケで180度向きを変えて
自分自身の「からだ」に向かった時に
“邪”のようなものを見つけたのだと思います。

一番典型的なのは浮腫みなどを起こす“湿邪”の感覚です。

湿気が強い土地に長くいたり
雨が長く続くと手足や顔がぽってりとしてきて
関節痛や頭痛を起こすことに気付いた昔の人は
“湿邪”に「からだ」が侵されたためとまず考えたのです。

けれども、
そういう外から来る要因以外にも
浮腫んで調子が悪くなることがあることに
さらに気付きます。

立ちっぱなしでいると下肢が浮腫んできて痛くなるとか
胃腸の調子を崩すと全身が浮腫みやすくなってよく頭痛がおこるとか
ということに気付いたのだろうと思います。

外(環境の変化等)からやってくる“邪”と
何気ない日常の中から沸き起こってくる“邪”のようなもの
がすごく似ている―そのことに気付いたのです。

そして、“邪”の概念は拡大され範囲が広くなり
“外邪”と“内邪”という二つの区切りが採用されたのだと思います。

外邪と内邪の関係

二つの区分を見出すことによって、
外邪”と“内邪”との関係へと目が向くようになります。

そこでとても大切な発見に至るのです。

内側で発生する“内邪”は
外側からやってくる“外邪”の呼び水のような役割をはたしているらしい
―ということです。

天気の影響を受ける人と
受けない人がいるのはどうしてなのか?

伝染病が流行っている時に
患う人と患わない人がいるのはどうしてなのか?

こういった疑問に“内邪”という概念が答えたのです。

外邪と内邪が合わさる

上記の引用した神戸中医学院の教科書に記載されていた
“痺証”の説明の中の“風・寒・湿の邪が合併して”というのは
実は、“外邪”だけを指しているのではありません。
“内邪”と“外邪”を両方含んだものなのです。

“風の邪”と“寒の邪”が外邪で
“湿の邪”は内邪だという具合に

様々な組み合わせがありえるのです。

そして組み合わせがどうであれ
外からやってきたものと
内から発生したものが合わさって
「からだ」をかき乱すのだという風に
考えているのが“痺証”なのです。

痺証の発生する条件

そして上記の引用には、
“痺証”の発生する条件も書いてあります

“元来気血が不足して経絡が空虚になっている場合に発症する”

です。

ここから、
“経絡”という通り道を“気血”というものが満ちているので
“外邪”や“内邪”は簡単に侵入出来ないということがわかります。
そこで、
“気血”というのを血液、“経絡”というのを血液の通り道と仮に考えてみます。
すると、
正常な時は血液が血管をキチンと通っているので
“外邪”や“内邪”は“経絡”をおかすことが出来ない
―そういったイメージが浮かび上がります。

反対に、
血液の通り道に“邪”を跳ね返す力が無くなった時
“外邪”と“内邪”が血液の通り道に居座って
血液が通るのを邪魔しているイメージが浮かびます。

つまり
これが“痺証”という考え方の原型なのです。

内邪はどこからやってくるのか?

ところで“外邪”は、周りの環境からやってくるというのは
なんとなく理解できるような気がします。

けれども、
“内邪”はどこからやってくのでしょう?
無から突然湧いてでるのでしょうか?

これには、中医学では
次のような答えが用意されています。

私達の「からだ」を巡る“気血”≒血液のようなものが
キチンと巡れなくなると“内邪”へと変化してしまう

―です。
これはイメージしやすく血液に置き換えて想像すると
わかりやすくなるかもしれません。

正座などを長く続けると
足の血液がキチンと流れなくなります。
そして、
足の色が悪くなり、血管が浮き上がったり
下腿全体が浮腫んできたりして痺れてきます。

つまり、
血液が止まりキチンと流れなくなると
血液はそのまま、浮腫みや冷えや痺れを発生させる要因そのものに
転化してしまいます。

つまり、
“内邪”は“気血”≒血液そのものが
動きを無くした時に働きを失って発生してしまうのです。

「からだ」の弱りが“内邪”を生み出す

では、
どうして“気血”≒血液が動きを無くしてしまうと
かんがえているのでしょうか?

中医学では、
これを内臓の弱りに求めます。

内臓が弱るので“気血”≒血液を
キチンとまわせなくなるのだ

―と考えているのです。
これは心臓や肺がキチンと働かなければ
血圧を調度よいくらいに保てないの類比することが出来ると思います。

胃腸がキチンと水分や栄養を吸収して
全身に送れていなければ
血液の成分が崩れてしまい
全身に血液を送るのに支障が出ることに類比できると思います。

もちろん、
単純に東洋医学的(中医学的)な見方と
西洋医学的な整理された概念を同列で扱うことは
出来ません。
けれども、
昔の人が「からだ」を観察して得たことは
現在の私達にも発見できて
西洋医学的な説明も出来たりするという可能性も
多いにありうるわけですから・・・

“痺証”のまとめ

環境の変化等で外側からやってきたストレス】と
体内で動かなくなった血液の害】が
合わさって関節等に居座って発症する

と言えそうです。

そして、
体内で動かなくなった血液の害の背後には
弱ってキチンと働かなくなった内臓が控えている
―のです。

そして、
弱った内臓の影にはその人の生活の積み重ねが
横たわっています。

なんで重要な考えなのか?

“痺証”という考えが、
医療や健康という巨きな視点からも
大切な考えだとなぜ私は考えるのでしょうか?

“痺証”という考え方から
関節痛や炎症という特徴的な縛りから外して自由にしてみてみると
病一般の構造が現れるからです。

病はどんなものであれ
次のようなシンプルな構造の上で発生するからです。

  1. 病は環境の影響と体内の働きの兼ね合いで起こる。
  2. 体内の働きには症状を引き起こす反応とそれを支える内臓の働きがある
  3. 内臓の働きは主に血液の成分とその流れを制御することである
  4. 内臓の働きが衰えることが血液成分や血流を不充分なものにする
  5. 内臓の衰えの背後には私達の日々の生活の積み重ねがある

単なる風邪ひきであろうが
ガンのような複雑なものであろうが
怪我のような単線的な因果関係に見えるものであれ
上のような構造にのって現れます。

つまり、
私達が様々な病を全体に渡って見渡し
ウィークポイントを見つけて克服していこうとするときに
点検していくべき項目を全て“痺証”という考え方は
すでに指し示しているからなのです。

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