「フィードバックをかけよう!」ってどう言うことだろう?

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健康のための原則
みやざき鍼・灸への質問?

「フィードバックをかける」

とは、
今やった仕事や作業を
振り返って確認することです。

「この部分はこうして良かった」
「その部分はこうしなかったのが良くなかった」

と後から見直すことです。

この説明だけだと
反省する”という言葉と
同じように聞こえます。

つまり、
“反省する”と
日本語で言えばいいのに、
英語をカタカナに
わざわざ代えただけの、
めくらましのような言葉にも
思えます。

けれども、
“反省する”という日本語とは
違う内実を持った言葉だと
私は思っています。

そのために、
“フィードバック”などと言う
カタカナ語を
わざわざ使わなければならないのだと
私は思うのです。

では何が違うのでしょうか?

“フィードバックをかける”と“反省する”の違い

空からみた景色

まず

【ぐるぐる回る循環の中に
自分の行動・判断が取り込まれてしまっている
 ということに自覚的である】

ということです。

これは良く言えば
自分を突き放して
俯瞰的”“客観的”に
見ようとしている
―ということです。

悪く言えば、
他人事”“醒めた目で
見ようとしている
―と言うことです。

空の上から
地面を眺めるような
その視点からは、
様々な循環が
よく見えます。

良かれと思い努力したことが
グルッと回って
事態を余計悪くしてしまっていることが
見えることもあるでしょう。

反対に、
何気なくやっていた
ささいな事が
グルッと回って
気付かない間に
とても大きな力になって
自分の助けになって
いたということが
見てとれるかもしれません。

努力や根性とは距離を置いた【弱い意志】

そこから、
普通に考えることが出来れば、

【意思・根性・努力といった
 精神的な力は基本的に
 弱いものなのでは?】

というに疑問に至るはずです。

一見、
強い精神力や意思を
持って動く人に見えたとしても、
それは、
たまたま好循環に
はまりこんで
手に入れただけの
ものなのかもしれないのです。

普通の人より
少し集中しすぎてしまう性格に生まれ
たまたま、それが上手く活かせる場所に生まれ、
その結果、
うまく成功体験を
積み上げることが出来た。

そのような、
好循環の中へ
たまたま生まれ落ちただけ
なのかもしれないのです。

本人が主観的に
ものすごく努力していた
としても、
その集中できる能力や
環境は
私達の意思の向こう側から
やってきた可能性が
高いのです。

自分が他の人より
沢山、努力出来たとしても
悪いとされることを
意思の力で退けることが
出来たとしても、
ただ流されている
だけなのかもしれないのです。

過去から未来へと
無限に続く“フィードバック”の中で
たまたま、
そこへ流れついた
だけなのかもしれないのです。

自分で選んでいるようで
ただ流されているだけ
なのかもしれない
という疑問に
ぶつかってしまうのです。

【一種の無力感】
【ある意味において仕方のない運命】

と親しくなる感じです。

“反省する”との違い

ここから見れば
“反省”という言葉は
善いことと悪いこととを
過剰に分けようとしている
ように見えます。

日本語の“反省”には、
謝罪や償いと
いったニュアンスが
たくさん含まれている
せいだと思います。

おそらく、
自然や社会の仕組みをよく知ろう
という事より
社会的な振る舞い
あるいは、
パフォーマンスや儀式的な
ことに重心のある
言葉なのです。

これに対して、
“フィードバックかける”とは
好し/悪し、好き/嫌い、善/悪
と言った価値観から
一定の距離を置いた言葉なのです。

ニヒリスティックな言葉なのか?

ここで、
疑問が浮かびます。

「‟フィードバックかける”ということは
そんなに悲観的でニヒリスティックなことなのか?

ということです。
ある意味では
まさにその通りだと思います。

この言葉に限らず
因果関係というツールを使って
客観的に物事を
捕えようとすれば
多かれ少なかれ
ニヒリズムは
ついてきてしまうのだと
私は思います。

(科学的に説明されると
ウキウキした気分に
水を差されたような
気持ちになるのも
そのせいかもしれません)

“フィードバックをかける”の背後から忍び込む価値観

けれども、
フィードバックをかける”ということは
単なる
“フィードバックが存在してる”とか
“フィードバックに巻き込まれている”とか
いった事実認識だけで出来ているわけではありません。

~をかける”という部分は
自分自身の意志をつかった行動なのです。

自分から行動を起こすのは、
自分にとって良いことを引き付けようとすることです。

もしくは、
自分にとって悪いことを引き離そうとすることです。

つまり、
いったん客観的な視点まで離れ
一般的な価値観から距離を取った後
ソッと裏口から
自分の価値観を差し戻しているのです。

“弱い意志”を使って“フィードバックをかける”

自然や社会には
私達の意志や善意の働かないところで
沢山の“フィードバック”が働いています。

大気中の二酸化炭素は
地球の温暖化に“正のフィードバック”として
働いています。

不況下で
お金に困って
一人ひとりが
安いもの安いものを
買おうとすれば、
不況はさらに深まります。
これは、“負のフィードバック”です。

この価値的な判断とは
何も関係のない自然や社会において
“フィードバックをかける”とは
自分自身の価値観を投げ入れる
積極的な行動なのです。

ただただあるがままにあるだけの
“正/負のフィードバック”を
自分達にとって
良いものを“好循環”とし
悪いものを“悪循環”とする
意志を使った価値観の刻印なのです。

根性や努力といった
精神論とは一歩距離を
とった所で
弱い意志を
キチンと使うための
積極的な価値判断なのです。

根性がなくても
努力する精神力がなくても

まずは、

「フィードバックをかける」

ことから始めてみてはどうでしょうか?

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