鍼灸のエッセンスとは
一般的な理解は・・・
一般的な理解のされ方からすれば、
体表に現われているツボ(経穴)に
刺激を与えて
健康や症状を改善する
医療系の技術
ということになると思います。
日本で一般に鍼と呼ばれている方法は、
太さが0.12~0.34mmの金属の針を
(髪の毛程の太さからやや太いくらい)
経穴と呼ばれる特別な皮膚のポイントに
刺すことで行います。
この効果の現れ方に対する一般的に理解のされ方は、
刺された刺激(侵害刺激)が神経を介して人間の自己回復力を発動させると考えられています。
灸についても同様です。
灸による温熱の刺激が神経を介して正常な状態にもどろうとする体の力を引き出してくると一般的考えられています。
そして、
この一般的な理解のされかたでは、
この経穴(ツボ)の選び方に伝統的な思考方法があったり、
解剖学的あるいは西洋医学的な判断があったりしていると
考えられているように思います。
これは背景に以下のような理解があるからだと思います。
鍼、または 灸という特殊な鍵を使って押すと
自然治癒力という仕掛けが動きだす
日本で行われている
平均的な鍼灸の像を抽出すれば
「機械→スイッチon→自然治癒力作動」というような機械的なイメージになるのだと思います。
鍼灸師が描く鍼灸のイメージ
けれども、
私の感覚では少し違います。
道具の特殊性やツボ(経穴)の利用といったことは
表面的なことで本質的なことではないのではないかと思えます。
もっと鍼灸のエッセンスのようなものがあるように思います。
鍼灸のエッセンス
私の考える鍼灸のエッセンスとは、
患者さんの気血の巡りの悪さを
五感を直接感じる
↓
巡りの悪さを
どうにか
改善しようと工夫する
↓
道具を考える
患者さんへのアプローチ考える
↓
たまたま鍼が選ばれれる
たまたま灸が選ばれる
目的にあったツボが探求される
患者さんへの刺激の強弱や
タイミングをはかる
↓
施術後に患者さん
気血の巡りが改善されたか
五感で直接確認する
というプロセスです。
プロセス全体そのものが「鍼灸」
なのではないかと考えているのです。
ツボに名前があったり、鍼や灸を使うのは二次的なこと
だから、○○のツボに鍼をすると××が良くなるとか言うことは鍼灸にとって二次的なことだと思えるのです。確かにツボの名前とどんな風に使われてきたかという情報はとても大切な情報です。鍼をツボのどこにどの位の深さでどんな角度で入れていくと体がよく反応するということも大切な蓄積です。けれども、それは上記の過程の中で「気血の巡りが改善されたということを五感で確認する」ための手段やコツでしかありません。
もっと極端なことを言ってしまえば、ツボの名前や背景を知らなくてもキチンと五感で気血の巡りが改善されることが確認できるのなら、それはそれで立派な鍼灸だと思うのです。
鍼灸は道具のみに依存した方法ではない
「気血の巡りが改善されたということを五感で確認する」というプロセスを踏めるなら実は道具は必ず鍼や灸でなければならないという決まりがある訳ではないと思います。鍼という道具が気血の改善を促すのに非常に便利であるから、鍼が主役を演じているにすぎません。
だから、
刺激に敏感な赤ちゃんなどには、
肌表面の浅い浅い所を
刺さないで刺激する道具が
小児鍼と
呼ばれるのだと思います
鍼灸師の感覚からすると
刺そうが刺すまいが
やっていることは
同じということになります。
その感覚が延長していって
手そのものを道具とすれば、
推拿やあん摩・指圧へと拡がっていきます。
骨格や筋肉と気血の関係を感じて
これを改善していこうと
アプローチしていけば
当然、整体ということに
なっていきます。
これらの技術は
実は全て境目なくつながっており
全体を含めて鍼灸と呼んで
良いのではないかと
私には思えるのです。
そして、これは鍼灸を深く学んだものが持つ共通の感覚なのではないかと私は思っています。