冷たい飲み物とどう付き合っていくのか?

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冷たい氷水食べること・飲むこと
冷たい氷水

はじめに

暑い日が続きます。

氷入りの冷たい飲み物を
ごくごくと飲み干すのは、
たまらない気持ちよさです。

けれども、
冷たい飲み物は
お腹を冷やして
胃腸のトラブルを
引き起こします。

今の季節なら
盆明けあたりに
夏バテになるリスクを
積み上げている
ことになります。

「そんなこと
言われなくても
既に知っているよ」
「わかってても
飲んじゃうんだよ」

と聞こえてきそうです。

そうです。
身体に悪いとわかっていても、
ついつい飲んでしまうのです。

実際、
夏の暑い盛りに
冷たい水やビールを
グイっと飲むということの
気持ち良さは
何事にもかえられない
価値があると
考えている方も
沢山おられると思います。

私自身、
冷たい飲み物を
全く飲まないという
わけではありません。

毎日ではありませんが
時々おいしく頂いております。

こんな気持ち良いことを
健康のために
してはいけないなんて
本末転倒なんではないか?

もしくは、
こんなにおいしく感じるのだから、
本当は、
体が欲しがってるんでは
ないのか?

―と思ってしまい当然なのかも
しれません。

そういった感覚や感情的な
ものまで考えると、
健康のことだけを
考えるのは片手落ちだと
思われます。

冷たい飲み物と
どうやって付き合っていくのか?

だから、

【冷たい飲み物を絶対に
飲んではいけない】

ではなくて、

【冷たい飲み物と
どう付き合っていくのか?】

ということこそが
課題なのだと思うのです。

なぜ冷たい飲み物を飲んでしまうのか?

そこで、
まず、

なんで冷たい飲み物を
飲んでしまうのか?

ということを考えてみたいと
思います。

そこから、やっと
【冷たい飲み物との付き合い方】について考えることが
出来るからです。

4つの仮説

「なんで冷たい飲み物を
飲んでしまうのか?」

という問に対して
いくつかの仮説に
分けて考えるのが
適当だと思います。

私は以下の
4つにわけて
考えると便利なのでは
ないかと考えます。

➀身体を冷やす必要を感じて、冷たい飲み物が自然にほしくなり飲む(身体の仕組み仮説)

熱中症・脱水を防ぐ身体の仕組みのせいで、冷たい飲み物が欲しくなるのでは?

身体の水分不足

汗の減少

熱をうまく
捨てれない

身体に熱が
たまる

暑く感じて
水が欲しくなる

冷たい飲み物
が欲しくなる

あんまり説明する
必要はありませんね。
よく見聞きする
熱中症の解説に
西洋医学的な説明に
“冷たい飲み物が欲しくなる”
を付け加えただけです。

冷たい飲み物が
欲しくなる説明として
これ以上のものが
あるでしょうか?

本能とでも言いたくなる
冷たい飲み物に対する
私達の欲求を、
この説明が
充分に言い尽くして
いるように思えます。

けれども、
冷たい飲み物が
欲しくなる理由が
身体の欲求だとしても、
それがそのまま
身体に良いこととは
言えないのでは
ないでしょうか?

気になるのは、
熱中症の対策には
“冷たい飲み物を飲む”
と書いてないことです。
“小まめに水分摂取を心がける”とは書いてますが
“冷たい飲み物で中から身体を冷やしなさい”
とは書いてないことです。
積極的に冷やす必要があると
判断されたようなケースでも
頭や首を冷やすことが
すすめられています。

貧血

“氷食症”というのが
あります。
氷が無性に欲しくなり
ポテトチップスを食べるように
ボリボリと氷を
食べてしまうという
症状です。

貧血が“氷食症”を
引き起こす仕組みは、
不明とされています。

けれども、
“氷食症”の人を
みてみると体温が上がり
口の中が乾燥して
いることが多いです。

貧血が
熱を体外へ棄てる仕組みを
なんらかの形で
失調させているようです。
その結果、身体に熱がこもり
氷を食べたくなったり
冷たい飲み物を
やたら飲みたくなったり
させているようです。

この場合も、
氷を食べて身体を
冷やすというのは、
対症療法としては
ありかもしれません。

けれども、
もっと根本的には、
“貧血”こそが
問題なのです。

事実、
貧血がおさまってくると、
氷を食べるという症状は、
おさまってくることが
ほとんどです。

また、
冷たい飲み物を飲むのは、
氷を食べるより、
冷やす効率が悪い上に
胃を直接冷やします。

胃を直接冷やせば、
夏バテなど胃腸の不調に
つながってしまいます。

貧血のしんどさの上に
夏バテを乗せる結果に
なってしまうだけの
可能性が高いのでは
ないでしょうか?。

この場合も
冷たい飲み物を欲求のままに
飲んでいるだけでは、
身体を悪くするだけの
ようです。

熱証

東洋医学的な見方に“熱証”と
言う考え方があります。
この“熱証”は基本的に、
冷たい飲み物が欲しくなるという症状があるとされています。

東洋医学は、
体を冷やす仕組みと
体を温める仕組みが
「からだ」にはあり、
この2つの仕組みが
バランスを取ることによって、
体温を適温に保っている
と考えています。

このバランスが崩れ
なんらかの要因で
体を温める仕組みが
余分に働いてしまった
状態を“熱証”と呼んでいます。
この“熱証”の中も
そのバランスの崩れかたに
よっていくつかのパターンに
分けられます。

実熱…風邪や感染症、ストレスなど様々なキッカケで、体を温める仕組みが暴走したもの
津液不足…いわゆる“脱水症状”とほとんどかさなります。
血虚…貧血とかなり重なりますがもう少し広い概念です。
陰虚…体を冷やす仕組み自体が衰えてきたパターンです。

東洋医学の場合も、
冷たい飲み物を飲みたくなるのは、
あくまで症状であると考えています。
対処すべきは、風邪やストレス、体を冷やす仕組みの衰えであると考えます。

むしろ、
冷たい飲み物を飲みたいという
その場の欲求に応えることは、
あまり推奨されません。

東洋医学では、
こう考えることが多いからです。
胃腸は温かい状態で
やっとちゃんと働く
ことが出来る。

加えて、

胃腸の働きで
「からだ」の水分を
調整している。

と考えているからです。
書き直すと

冷たい飲み物
を飲む

胃腸が冷える

胃腸の働きが
衰える

水分が胃腸に
たまる

全身に水分や
栄養を送れない

「からだ」を
冷やす能力が
衰える

と考えるからです。

冷たい飲み物は健康に悪い

東洋医学的にみようが
西洋医学的にみようが、

熱くなった体を
冷やすために、
体の仕組みが働いて
冷たい飲み物が
欲しくなる

―と考えるのは同じです。

その上で、

冷たい飲み物を飲むのは、
胃腸に負担なりやすい

―と考えるのも同じに
なるのも注目したいです。

体が熱くなった時に
冷たい飲み物を
飲みたくなるのは自然だけど、
実際に飲むのは、
健康にはよくない

と一般論として言えそうです。

考えてみれば、
暑い夏の盛りに
キンキン冷えた氷入りの水が
簡単に手に入る環境など
昔はほとんどなかったはずです。
あったとしても、
一部の特権階級が
贅沢として享受したに
すぎません。

つまり、
私達、人間は
冷たい飲み物を飲んで
身体を中から冷やすようには
まだまだできていない
と考えて良いのでは
ないでしょうか?

「冷たい飲み物を飲みたくなるのは自然なことだが、
実際に冷たい飲み物を飲むのは不自然なこと」

と言い換えても良いのかもしれません。

➁冷たい飲み物を飲むということ自体に価値があるので飲む(価値観に基づくという仮説)

冷たい飲み物を飲むというのは、例え錯覚であったとしても、
素晴らしい体験です。

ノドを潤す
冷たい水の感触は
何事にも変えがたい幸福感を
もたらすことも
けっして珍しいことでは
ありません。

この素晴らしい体験を
求めて私達は冷たい飲み物を
飲みたくなるのではないか?

―という仮説です。
私達、個人個人の体験に照らしてみても大変説得力があります。

キンキンに冷やしたビールや、
ロックのウイスキーなどは、
この感触を基に、
文化的な価値を積み上げて、
さらにその価値を高めた
ものと言えそうです。

この視点から見ると、
まさにこの感触を
味わうためにこそ
私達は生きているのだ
と言いたくなると思います。

また、
その価値観からすると、
多少の体の負担など仕方ないと
思えてきます。

私達は、
健康のために生きているのでなく
この世の素晴らしい感触を
味わうために生きているのですから。

けれども、
よくよく振り返れば、
冷たい飲み物の感触も
いつも絶対の価値を与えて
くれるわけではありません。

その時の天気や
「からだ」の状態、
あるいは、
周りの環境などなどで
冷たい飲み物の感触の価値は
ぐらつきます。

また、
他の価値との兼ね合いも
あります。

例えば、
冷たい飲み物で
体調を崩してしまい、
楽しみにしていた
家族と過ごす時間を
奪ってしまった。

―などです。

確かに、
冷たい飲み物の感触は
とても価値のあるものです。

けれども、
それだけで
冷たい飲み物を飲みたいと
思い続けるのも
無理があるように
思われます。

③冷たい飲み物を飲むのがあたり前になってしまっていて意識する間もなく飲んでいる(習慣化によるとする仮説)

冷たい飲み物を飲んだ時の
素晴らしい体験を
もう一度
無意識に再現しようと
しているうちに
習慣化してしまい
飲みたくなる
という仮説です。

➁の価値説を前提に
していますが、
➁のような
新鮮な驚きや感動は
どこかに行ってしまった状態
だと言うわけです。

これも
結構ありえる仮説なのでは
ないでしょうか?

毎日の生活を
振り返れば
毎日やってるから
今日もやってる
ということの
多いことに気付くはずです。

冷たい飲み物を飲む
ということも
習慣化してしまい
惰性で飲んでいるだけ
のことも多いのかも
しれません。

ここまで来ると、
飲みたいから飲んでいるのではなく
気付かない間になんとなく飲んでるに
なってしまっています。

もし、
そうなら、
身体を傷めつけている割に
たいして充実感を得ているわけでは
ないので
もったいないことを
していることになります。

ここは
考え所のような気がします。

④「からだ」の感覚が鈍くなってしまい飲んでいる(「からだ」の鈍感化によるという仮説)

③のような習慣化・惰性化が
起こってしまってしまうのは、
自分自身で感じる「からだ」の感覚に
鈍くなってしまっているからでは
ないのか?
―という仮説です。

本当は
素晴らしい体験である可能性に満ちた
冷たい飲み物を飲むという行為を
乱暴に扱ってしまい
キチンと感じられなくなっている。

そして、
当たり前のように繰り返して、
身体にダメージを与えてしまっている。

どうでしょうか?

この仮説は
私にとっては結構リアリティーを持って
感じられています。

他の人にも
説得力をもつのでしょうか?

わかりません。
こここそが
価値観の問題なのかもしれません。

何にしても
この仮説は
「からだ」に敏感になり
感覚が開いてくる時のイメージから
導かれています。

「からだ」の感覚が
刻一刻と変わっていく
状態の中で
丁寧に感覚を
追いかけていけば、
様々な価値が
入れ替わり立ち代わり
せり上がっては
沈んでいくのが
わかるはずです。

そうなら、
本当に
冷たい飲み物を飲むという価値が
充分に実現される
タイミングや程度
状態といったものにも
気を使われるはずです。

そして、
同時に家族と暮らす時間の価値も
両立させるようなバランスを
探すはずです。

そのようなイメージです。

それは、
充実した生活をおくるためにこそ
バランスを取ろうとする
積極的なイメージなのです。

まとめ

まず、
冷たい飲み物がやたら欲しくなるなら
身体の状態を点検する必要があります。

脱水や熱中症に
なっていないのか?

貧血はないのか?
体を冷やす仕組みは
ちゃんと働いているのか?

もしそういった異常があるなら、
冷たい飲み物を
飲むのは根本的な解決には
なりません。

キチンと根本的な部分で
対応しましょう。

冷たい飲み物を飲みたくなるのは自然でも
冷たい飲み物を飲むのは不自然なことなのです。

そして、
その上で
冷たい飲み物の価値を
キチンと享受しましょう!!

キチンと価値を享受するためには
惰性や習慣で飲んでいてはいけません。

「からだ」の感覚を
使ってキチンと感じることが
必要です。

なぜなら、
その価値を最大化するためには、
揺れ動く価値の波に
ベストなタイミングで乗らなければ
ならないからです。

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