健康とは

WHO憲章に健康の定義について一文があります。

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
「健康とは、完全な 肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の
存在しないことではない。」

この文章を学校の授業で読んだ時は、

「なるほど、うまいこと言ったもんだ」

と思いました。

血液検査や体力測定で調べて異常がなければ健康と私達は考えがちです。

けれども
よく考えると健康の条件は
裾野がもっともっと広いものだと気づかされます。

経済的な安定は、家族を安定させます。
そこを土台に私達は友人をひろげ、
そして地域の人々とのつながります。
そこで得た人間関係の網の目は、
私達が働く時の人間関係の雛形になるはずです。
そこから働くことへつながり、
収入を得ること出来て、
再び経済的な安定へとつながります。

この大きな人間関係の循環の中から
精神的な安定が生まれて来るのだと言うわけです。
もちろん、そのためには体が壮健であることは大前提です。

この人間関係の循環とそれを可能にする体の不自由のなさを
ひっくるめて「健康」とWHOは呼びたいのです。
この意味を拡張させようという能動的な意志も含めて
学生の私には、新鮮な響きを感じたのです。

今、読んでもよく
書けた文章だと思います。

けれども、
現在、鍼灸師として働くようになった視点からみると
少し不満があります。

「生活が生み出す価値」に
ついての視点が薄いことです。

生活は私達が生きていく手段であると同時に
目的そのものでもあるはずです。
日々の生活を暮していくことは
だだの消耗・消費ではなくて
何らかの価値を生まれてくる現場そのものであるはずなのです。

価値が生まれるためには
ただただ必要な物質を消費すればいいのではないはずです。
ひたすら、屈強な体であれば良いわけでもありません。
沢山の人から称賛されれば良いというわけでもないはずです。

私の感触では
「からだ」とのやり取り≒会話の中から
価値は生まれてくるのです。
つまり、
「からだ」の声を聴くということは
「生活の価値」の在りかを聴き取ろうとしている行為
なのだ
と思うのです。

養生するということは
単に健康であれば良いという発想を
越えて、
もっと豊かに生きようという
可能性につながるものだと私には思えるのです

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