スーパーマンを目指さない

この鍼灸や整体の業界に
携わっていると
たまに、
とんでもない「からだ」の状態の方に
出くわすときがあります。

背骨はしなしなと柔らかくたわみ、
筋肉は張りと柔軟性を兼ね備え
やわらかいゴムのように伸び縮みします。

肌はツヤがあり
血色もよく明るい色をしています。

胸郭はゆったりと
横に開き、柔らかく弾んで
背骨にぶらさがっているのが
呼吸の度に揺れる様子から
服の上からでも、
みてとれます。

「からだ」を触らせてもらうと
筋肉が血液をたっぷりと
吸い込んで、
また、しっかりと吐き出す
スポンジのような
保湿力?と排出力?という
矛盾したような力を
備えているのが感じられます。
手のひらに伝わる
血液の脈動や呼吸の波、
その他の諸々の波も
ゆるやかなカーブを描き
流れるのを邪魔するものが
ないことを知らせてくれています。

人の「からだ」に、
もし、いわゆる‟健康”な状態であるとすれば
こんな状態なのではないだろうか?
と思わせるような
お手本のような状態です。

健康法のようなものを
しっかり行っている方もいれば、
全くそのようなものを
行っていない方も両方
おられるようです。

これは
持って生まれた体質≒才能のような
ものなのでしょうか?

それとも、
生活や訓練の中で
獲得した強さなのでしょうか?

恐らく、
両方だろうと思います。

ある種の体質≒才能の種のようなものが
「からだ」の中に眠っていて
それが、生まれてからの生活や訓練に
よって目覚めて
そのような「からだ」に
なったのだろうと私は考えています。

そう考えるのには、わけがあります。

このスーパーマンのような人達に
なりそこなったように思える人達に
ちょくちょく出会うからです。

筋肉は素晴らしいのだけれも
胸郭はカチカチなんだよなあ~
とか、
気血はいい感じで流れているのだけど。
所々に淀んだ血が(血瘀)あったりするなあ~
等々
おしい感じのする人が
けっこういるのです。

このスーパーマン手前の人達は、
たいてい、スポーツマンで
体格もよく、
仕事をバリバリこなしています。
自分の現在の特殊な「からだ」の状態に
気付かないで、
それを当たり前の‎ように暮らしています。
当たり前に感じすぎて
他の人がすぐ疲れたり
集中力や根気が続かず
がんばれないのが
全くわからなかったりします。

その結果、
浴びるようにお酒が飲めてしまったり、
徹夜で仕事したり、遊んだりが
楽しくできてしまうようのです。

このスーパーマン手前の人達を
観ていて私は思うのです。

「もって生まれた才能って
 あるよなあ~
 こんなにムチャな使い方して
 この程度しか悪くならないだもんなあ~」

と。
そして、
その才能を乱暴に扱った結果が、
本人が気づかない間に
淀みや歪み≒未病を溜めてきているのだろう
と私は想像しているのです。

つまり、
スーパーマンの才能がある人達の
大多数は自分の才能に
引きずられて
自分の「からだ」を乱暴に
扱う習慣が身に付きやすく
スーパーマンになり損ねてしまう
のではないだろうか―
と私は思っているのです。

そして、
たまたま、
「からだ」を丁寧に扱う
生活習慣が出来たり
健康法や訓練に出会うことが出来た
スーパーマンの才能がある人だけが
本当のスーパーマンになれたのではと
想像しているのです。

さて、
ここからが本題です。

私達全ての人が
このスーパーマンの「からだ」を
目指すべきのでしょうか?

現在の私の答えは

「NO」です。

もちろん、
私達にも
眠っている才能があるかもしません。
なんらかの訓練でその才能を
呼び覚まして
スーパーマンの「からだ」に
なれる可能性があるかもしれません。

けれども、
そのために何かを犠牲にすることに
なるはずです。
訓練のための時間だったりとか、
とても楽しみしている
時間の過ごし方だったりすかもしれません。

本当にあるかどうか
わからない才能のために
莫大な時間や楽しい時間を犠牲にする
必要はないように思います。

「スーパーマン」のイメージは
私達を駆り立てます。
もっと健康に
もっと強靭に
もっと軽やかにと。

けれども、
もっと大切なことは、
現在の自分の「からだ」を
よくよく見つめることだと思います。

自分に残された資源を
よくよく整理して見つめて
「からだ」の
何にそれを振り向けるべきなのか
何が自分にとってもっとも
大切なことなのかを
考えることから始めなければ
自分にとって本当に大切な価値あることが
指の間からすり抜けていくように思います。

つまり、

≪スーパーマンは目指さない≫

というは養生のコツなのではないかと私は思うのです。

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