みやざき鍼・灸HPにおける“@”マークの使い方(ニュアンスやイメージに住所を与えたい)

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みやざき鍼・灸HPにおける″@″マークの使い方言葉

当HPの“@”マークの使い方

当HPでは
一つ単語から連想して欲しいイメージやニュアンスを正確に伝えるために、

骨@解剖学   → 解剖学でイメージされる骨
骨@日常生活  → 普段の日常会話でイメージされてる骨
骨@体操    → 体操をしてる時に意識されてる骨
      ・・・・・・
筋肉@生理学  → 生理学的な化学反応が起こる場のイメージとしての筋肉
筋肉@力仕事  → 力仕事をしてる時に働いているとイメージされる筋肉
筋肉@美術   → 視覚的な効果を与えるために表現された筋肉
      ・・・・・・

みたいな書き方をしていきたいと思います。(※もちろん、へん沢山付けないつもりではあります…)

定式化しておくと

みやざき鍼・灸HPにおける“@”マークの使い方
✕✕✕✕◯◯◯◯

   ✕✕✕✕ = 使いたい単語
   ◯◯◯◯ = 連想して欲しいニュアンスや
          イメージを含む範囲やジャンル

となります。

イメージやニュアンスの違いからくる誤解を減らしたい

一つの単語はその時の文脈や受け取り手の経験や知識しだいで連想される具体的なイメージのニュアンスや指し示す範囲が様々に変化してしまうのが普通です。この違いのせいで言いたいことが上手く伝わらないことが多々発生してしまいます。そこで当HPでは「この範囲に向けてイメージを展開して読んで欲しい」という時に、単語に“@”を付けて、ジャンルや領域を指定しようと思います。単語のイメージを限定して読んでもらうことによって、誤解の余地を幾らかづつでも減らすことが出来れば…と思います。


トマト@植物学 → 南米原産のナス科植物の種類
枝に実るトマト
トマト@料理  → サラダやケチャップやミネストローフに使われる食材
スープ:ミネストローフ
トマト@祭り  → スペインのお祭りで投げつけて使われる野菜

自分の「からだ」の微妙な感覚を文章からキチンと連想したり手繰り寄せて読んで欲しい

もうちょっと突っ込んだ動機

ややこしいことは止めてほしんだけどな

しかし、この「誤解の余地を減らしたい」だけだと、「かえって読みにくくししてるだけなんじゃないの?」とかの反対意見がありそうです。「普通に、解剖学における筋肉とか生理学的な視点からみた筋肉とか書けばいいじゃん」という声が聞こえてきそうです。つまり、普通の使い方からズレた書き方をワザワザする理由としては弱いんですよね。なので、もっと積極的な動機を書き加えておきたいと思います。

それを一言で言えば、

一つの単語から導かれるイメージの中から、
一人ひとりが自分の「からだ」で積み上げた体感や経験そのものを
自ら取り出して、そのイメージやニュアンスの方へとアクセスして欲しい

ーということです。

上手く伝わってないだろうなあ~と思いますので以下にさらに説明を加えます。

言葉はたいてい一般論や共通理解のために使われている

言葉は基本的に【他の人へ考えていること感じていることを伝えるための道具】です。なので、個人的すぎて伝わりにくい体感や経験のイメージは端っこに追いやられ、伝わりやすいイメージ(客観的なイメージ)だけが優先して引き出される傾向があります。効率とか客観性とかを考えるとそれが当たり前というものです。

一人ひとりの生々しい感覚や具体的な経験の違いを意識した言葉が欲しい

けれども、養生やセルフケアみたいな自分自身で自分の「からだ」へ向かっていくみたいなケースにおいては、個人ひとりひとりがそれぞれ抱える体感や経験のイメージみたいなものがとても重要になってきます。みんなで使う一つ共通理解のための単語なのだとしても、最後は自分自身という特殊な例に上手く調整し直して当てはめていく必要があります。一人ひとりの「からだ」や置かれた状況はみんな違うからです。安易にみんな同じだとしてしまうと、上手く越えられない壁みたいなものにすぐにぶつかってしまいます。また逆に、この個人個人の間にふさがる壁を意識しすぎると「一般論としては何にも言えない」という状態にすぐにはまり込んでしまいます。この壁を一つ一つ具体的に越えていくには、結局一人ひとりがそれぞれが抱える体感や経験の中に自分を潜らせて小さな微調整を繰り返していくしかないと私には思えます。なので、一人ひとりの健康にちゃんと役立つような言葉を紡ごうと思えば、学問や一般論とは一定の距離をおいた一人ひとりの感覚や具体的な経験の違いを意識した言葉使いがどうしても必要だーという風に私には思えるのです。

例えば、「腕をしっかり上げて…」と体操のマニュアルに書いてあったとします。この指示に従って腕を上げていると頭の中には、誰のものかわからない腕がロボットのように上がる姿がイメージされているかもしれません。解剖図の絵が3Dで上肢挙上してるCGが思い浮かぶかもしれません。けれども、そういったイメージで動いているらしい姿をみていると、「今、腕がどんな風に上がっているの?」という目の前で起こっていることが見逃されてしまっているように思えてきます。腕を上げてもどこかよその腕を上げているような様子に見えてくるのです。

「腕を上げてみて」と頼んでみると、腕を上げ切らずに腰を反らして腕を高い位置に運んでいる人にたくさん出会います。本人は腕をしっかり上げてるつもりなんですがそのことに気付いていないのです。「腕があんまり上がらずに腰が反っちゃてるよ」と伝えてやっと気づきます。もちろん、これは肩関節が硬くなって上げにくい等の個人的要因がそれぞれあります。

けれども、この自分の腕を上げるという行為に慣れが入ってしまいどこか他所事になってしまっているという構えの取り方が背後に一定あるように思います。もし、他所事のように扱っていなければ腕が上がっていないということに気付く可能性はもっと高くなるんではないでしょうか?そして、その裏側には言葉の一般的なイメージが今起こっていることを隠す風に作用しているのではないか?と思う訳です。患者さん(あなた)自身が持つナマナマしい感覚や経験の積み重ねはイメージの中で端っこに追いやられスルリと抜け落ちてしまっているのではないでしょうか?

…もちろん、この例自体もよくあるケースとして括り出し一般論のイメージとして扱うのも可能です。けれども、それをどんどん繰り返していくとより細分化していった先に、どうしても、「あなたの場合は…」という処へ最後は行き着いてしまうのではないでしょうか?ならば、最初から「私の「からだ」にとっては…」という視点を繰り込んでおく方がより本質的な言葉使いなのだという風に私には思えるのです。

“✕✕✕✕@「からだ」”という表現を使いたい

“✕✕✕✕@「からだ」”という表現を使うことによって、読んだ人(あなた)に、自分自身の腕の重さやしなり加減、空気の抵抗みたいな自身の肌感覚の方へ引き寄せて読んで欲しいのです。腕@「からだ」と書くことによって、そちらの方へイメージが誘導されるようにしたいのです。

3. 「からだ」自分自身の五感で直接感じているカラダ、自分自身の感覚でさぐっていくことが出来るカラダです。“私”または“あなた”という一人称または二人称の視点で対面している時にしかとらえることが出来ないはずのカラダです

https://miyazakiharikyu.com/post-262/

【「からだ」の声を聴こう!】への橋渡し

知識や体験談を“✕✕✕✕@「からだ」”の方へ(自分の肌感覚?感じ方?経験?の方へ)引き付けて読み取ってもらうことが出来るようになったならば、【「からだ」の声を聴こう!】という当院の方針の大きな部分を理解してもらえたことになります。それはまた患者さん(あなた)自身の健康や価値観にとって大きなプラスに繋がっていくことになるーそのように私は感じています。

あと、その他もろもろの理由

造語を沢山つくらなくてすむ

私達が普段サラっとカラダと発音している対象を、身体/体/「からだ」の三つに分けて理解したいーというのが当院HPの狙いです。

この狙いを具体的な場面に落とし込んで言葉で表現しようとすると、どうしても上手く言い当てられないカラダのイメージが出てきてしまいます。これを表現しようとするとどうしても造語に沢山頼らなければならなくなってしまいます。これを避けるためにも“@”を付けるという方法はとても役立ちそうだと感じています。

例えば、お尻の真ん中の骨を“仙骨”と書くのが解剖学からの視点とすると、感じる「からだ」にはそれに完全対応する単語はありません。感じる「からだ」は一人ひとりのプライベートな感覚であり、敢えて単語として独立させる必要は普段の生活には全くないからです。日常的な感覚を表す時だけ使う“仙骨”に対応する単語を探しても帯に短し襷に長しになるでしょう。(あえて言えば、“お尻の真ん中の骨”ですが少しモヤモヤします。仙骨という言葉もたまに日常語として使われますが、解剖学のイメージも一緒に呼び込んで混乱してしまいます。)これらにいちいち別の名前を造語として付けると、私のHPは造語だらけになってしまいます。造語だらけの説明は訳がわかんない文章だらけになってしまうでしょう。(書く方だって「自分勝手に書いてるなあ」という気分に打ちのめされて嫌になってしまいます。)

以下のように書きわけられれば整理されてグッと読みやすくなると思います

例
仙骨@「からだ」 … 感じる「からだ」としての仙骨イメージ
仙骨@体     … 一般社会全般で使われる仙骨のイメージ
           (例えば、骨盤矯正の広告の中にある仙骨のイメージ)
仙骨@身体    … 解剖学や西洋医学の中で定義されて
           学問内で共通化共有化するために
           使われている仙骨のイメージ

造語も十数個くらいならなんとかなりそうですが、カラダの色んな場所にそれぞれ勝手に名前をどんどん付けだすとわけがわかんなくなるのが目に見えています。やはりこういう表現がどうしても必要だと思えてしまいます。

簡潔に短く書ける

どんな単語でも、沢山のイメージが折り重なって芋づる式に連想が拡がって連想されるのが普通です。骨盤と聞いたら自分の、お尻回りに付き出している硬い部分をイメージすることもあれば、解剖学の教科書に載ってる図をイメージすることもあると思います。キャッチーな流行イメージをあてにした整骨院の看板や広告なんかが思い浮かぶかもしれません。この違いに言葉を届けたい時に、“自分でお尻を触った時にお尻回りの付き出している硬い部分に自分で感じられる骨”などといちいち書いているととても長くなってしまいます。簡潔に、“骨盤@「からだ」”と書けます。

学問やジャンルの違いを意識した文章が作りやすい

また、同じ“仙骨”でも学問の分野や専門領域の違いによって捉え方やイメージが変わってくる場合があります。この違いにも“@”を付けることによって対応出来ます。

例
仙骨@解剖学 … 解剖学から見た物質的な仙骨
仙骨@美学  … 美的観点からその基準や在り方を探られる対象としての仙骨
仙骨@動物学 … 進化論や生態学を踏まえた歴史的な背景を踏まえた視点からの仙骨

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