患者さん達、一人ひとりが持つ
【自由にできる時間、
集中力、理解力、粘り強さ
助けてくれる友人や家族
住環境、職場環境や経済基盤等は
≪資源≫である】
と私は考えています。
普通、
資源という言葉を聞くと
普通は石油や天然ガス、
金や銀なんかを思いだします。
加えて、
魚や米、小麦
といった食料品や
紙や家具なんかの
材料になる木材なんかも
思い出すと思います。
辞書なんかで調べてみると、
第一の語義は
【人間の生産活動のもととなる物質】
となっています。
つまり、原材料の物質というのが
元々の意味なのでしょう。
ここから意味が広がって
生産に携わる能力がある人を
人的資源と呼んだり、
経済活動を促すような
歴史的建造物や風景等を
観光資源と呼んだりします。
つまり、
【人間の生活に役立つ元となるもの】
という風に意味が広がってきているのです。
意味は広がっているけれども、
変化せず残っているニュアンスとして
大切な部分があります。
【資源は使うと減るもの】
であるということです。
石油や石炭は
まさにそのとおりです。
木材や米はどうでしょうか?
植えて殖やすことが出来ます。
けれども、
何もせずただ食べるだけでは、
無くなっていってしまいます。
人的資源や観光資源は
どうでしょうか?
やはり、
ただ使うけで
健康管理やメンテンスを
しなければ
その力は失われてしまいます。
この
人の生活に役立つが【使うと減るもの】
というニュアンスに
よくよく注目すると
私達一人ひとりが持っている
時間や経済力、
はては、集中力や理解力
援助を求めることが出来る友人
支えてくれる家族までが、
≪資源≫というくくりで扱えることが
わかります。
私達、鍼灸師は
この患者さん、一人ひとりが持つ
この≪資源≫というものに
絶えず注目しています。
なぜなら、
ある病にかかった時に
患者さんが治癒していくことが
出来るのは
この≪資源≫を
使うことによって
身体や「からだ」を
再び健康な方向へ
向かせることによって
だからです。
例えば、
ひどい風邪をひいた
↓
休暇を取って体を休めたい
↓
時間給の仕事で
休むと経済的に
生活が破たんする
↓
休むことができない
↓
ひどい疲れを溜める
↓
肺炎や喘息になる
といったことが起こりえます。
つまり、
経済的な≪資源≫が足りないので、
時間という≪資源≫が利用できず、
その結果、肺炎や喘息になって
しまったということなるからです。
ここでの大切なポイントは
【使うと減るもの=限りあるもの】
というニュアンスです。
使うと減るということは
やみ雲に使うと
無くなってしまうということです。
つまり、
経済基盤や時間を
どの方向へ振り向けるべきか
というのは
病をどこへたどり着くかということと
密接な関係があることになります。
だから、
単純に
同じ年齢で同じような体格で
同じような症状と原因だからといって
同じような結果にいきつくという
わけではないのです。
同じように、
集中力や判断力といったものも
≪資源≫です。
体操のやり方を
うまく理解できるのか?
やりすぎたりを防ぐための、
ほどほどで治めたりすることが
出来る判断力が
働いているのか?
体操を続ける
集中力は5分くらいなのか?
30分以上あるのか?
体操してるときに
補助をしてくれる
家族はいるのか?
こういったことも
病のその後に大きく作用してくるのです。
ここでも
ポイントは
【≪資源≫は使うと減るもの】
です。
無理な判断を沢山させると
焦ったり緊張したりして
判断力は鈍ってきます。
集中力もいつまでも
保つことができるものでは
ありません。
家族の支えも
酷使すれば折れます。
この≪資源≫という
考え方から見えてくるのは、
病を治していくのに大切なことは
【枯れてしまわないように
≪資源≫を適切なバランスで
振り分けること】
ということになります。
つまり、
むやみやたらと
根性論で健康法等を
ひたすら実践するというのは
かえってマイナスになることが
沢山あるということです。
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