‟整体”ときいて、
たいていの人がイメージするのは、
肩や首なんかを整体師という人が押さえつけて
関節をガクッと動かすと
関節がポキッとか、
ボキッと鳴ったりして
激しい痛みがウソのように治まると
いったイメージではないでしょうか?
けれども、
実際の現場で様々な‟整体”を
みていくと、
そんなイメージの‟整体”は
それほど多くなく
関節を鳴らさないで
皮膚や肌にだけアプローチするもの
激しくガクッとやらないで
ゆっくりとしか動かさないもの
あるいは、
先生は患者さんに
何も触らないで
「こう動きなさい」と
指示を出すだけの‟整体”まで
様々です。
はじめに書いた多くの人が
想像する‟整体”は現在では
むしろ少数派なのではと
思われます。
そういう意味では、
‟整体”という言葉は、
けっこうあやふやな言葉です。
ぶっちゃけて言ってしまえば、
手を使った民間療法を
みんながそれぞれ、自称、‟整体”と
名乗りを上げている状態が
現在の日本の実態だと思って
もらえれば、ほぼ正解だと思います。
アメリカの民間療法である
オステオパシーやカイロプラクティックを
主体に行っている先生もいれば、
推拿や太極拳といった
中国で工夫された
技術をベースに
やっている先生もおられます。
また、
日本の古武道なんかから
発達した骨法や整骨と
いった方法に影響を受けている方々も
おられます。
また、大正期~昭和初期に
雨後の筍のように現れた
日本の民間療法の数々の影響を
沢山受けた方々も
多くおられます。
(高橋迪雄の正體術
野口晴哉の野口整体
亀井進による身体均整協会
橋本敬三による操体法
などなどです。)
現在、‟整体”と呼ばれる方法は
これらが互いに影響しあって
互いにからまりあった
ジャングルの蔦のような
ものです。
つまり、
現状の‟整体”という言葉は
さまざまなものを詰め込んだ
十把一絡げな言葉だということです。
ところで、、
これら技術を使ういわゆる
整体師たちが方法を
引っ付けたり
引き離したりを繰り返している
その根本には、
その技術を支える思考方法や
思想の違いが原動力で
あるように私は思います。
「手の位置はこうだ!」
「身体をこう捻じるんだ」
とか言う技術的な部分以上に、
それを支える思想的な部分に
大きく影響されて分けたり
引っ付いたりを繰り返している
―のだと私は思っています。
私的な意見ですが、
技術的な大枠は
現在までに
ほぼ既に出尽くしている
と思います。
この部分は、
こんな流派が技術的に得意だとか
あの部分は、
この流派は苦手だとかは
あると思います。
けれども、
それも、大同小異で
テクニックの根本的な
仕組みや効果の出方みたいなのは
ある範囲内で収まってしまう
ような印象を受けています。
他とは違う劇的な効果を
上げているようなやり方が
あるように見えたとしても、
それは、その場の状況に
たぶんに依存したものだと
私は思います。
どんな患者さんがどんな訴えを
していて、
どんなシチュエーションでしているのか?
どんな施術者が
どんな考えで施術方法を選び
どんな言葉にならない感覚を
頼りに力加減や方向を
定めるのか?
流派の持つ方法論という
固定された部分に左右されるというより
文脈的な流れを感知して
その流れに乗っていくことが出来る人が
大きな成果を上げていると
言えるのだと思います。
つまり、
その文脈を選ぶ
思想や考え方こそが
‟整体”の中心課題なのでは
ないかと個人的に
思っています。
(日本の大正~昭和初期に
上記のような偉大な先人が
沢山現れたのは、
その時代特有の課題に
思想として立ち向かっていったためではと
私は想像しています。
恐らく、
急速な工業化が進んで
農業主体の社会から大きく変化し、
恐慌が襲い
テロの嵐が吹き荒れ
戦争に突入していった
戦前の日本の社会情勢なんか
とも関係しているはずです。
このことは、一方で
功罪含めてキチンと検討しても
良いことのように私には思えます。
今後、徐々に考えていきたいです。)
そうなると、
「では、お前はどういう考えを基に
技術を選び、運用しているのだ?」
となると思います。
そこで簡便にまとめてみました。
みやざき鍼・灸の‟整体”に対する考え方
①「からだ」で感じる「気血」の巡りを改善する方向を目指す
② 重力に対する「からだ」の反応を参考に調整を行う
③ 危険の出来るだけ少ない最小で簡単な方法を選ぶ・考案する
④ 患者さん自身が、自らの「からだ」に自ら関わっていくような道筋をつける方向を絶えず意識する
となります。(2017年4月2日の時点で)
少し説明を加えておきます。
①「からだ」で感じる「気血」の巡りを改善する方向を目指す
科学的説明や理論的に導かれた理屈の示された正常な身体を目標にしないといことです。
また、機械や道具で測った数値が改善することを目指して行うわけではないということです。
もちろん、そういった科学的理論や検査データも参考にするのはやぶさかではないのですが、
最終的な判断は、
私と患者さん自らが感じる「からだ」で行うということです。
それも「気血」がうまく巡っていくのかどうかを判断材料しますということです。
加えて、
頸椎〇番が捻じれが
真っすぐにしようとか
肩の高さが水平になるのを目標に
しようというのでもありません。
もちろん、それらも一つの目安なのですが、
最終的な目標は「気血」の巡りがよくなることです。
目標が達成すれば多少捻じれていても左右そろわなくても良いと考えているということです。
② 重力に対する「からだ」の反応を参考に調整を行う
重力というと
ニュートン力学や物理学などを
思い出すのですが
ここでは、そんな抽象的な意味では
使っていません。
「からだ」で感じる
地面に引っ張られる感じです。
この引っ張られて倒れこむ感覚と
倒れこむのを防ごうとこらえる感覚を
とらえて、
それを基準に手技を行っていくということです。
もちろん、
力学的なバランスとか
バランスの崩れとか
重心の移動とか理屈で切っても
かまわないのですが、
最後は重力を「からだ」で感じて施術するということです。
③ 危険の出来るだけ少ない最小で簡単な方法を選ぶ・考案する
あたりまえのことですが、
リスクの大きい技は使わないようにしようということです。
私の考えでは、関節を急激に動かすスラストのような技術は、
危険がかなり伴うと思われます。
だから、急激に動かしてガクっとさせたり
ポキッとさせたりすることは
しないようにしています。
それから、
大きな力で振り回すようなことも
しないようにしています。
ゆっくり弱い力でと心がけています。
それから、
ややこしい難しいことは
あんまりやらないようにしています。
たいていのことは、
単純でシンプルな方法で対処できてしまうというのも
ありますが、
それよりも、
患者さん自身が何をされているのか
「からだ」で理解できるようになることが大事だと考えているからです。
整体が切れ味のよい刀のように
症状を切り離すことが出来たとしても
しょせんは、一時的なものです。
患者さん自身が日常でため込む淀みや歪みこそが
問題だからです。
施術者への依頼心を減らして、
自分自身でも調整できるような
「からだ」の感覚を養ったもらいたのです。
そのためには、
シンプルで簡単な方法を体験してもらって
簡単な方法でも、「からだ」が変化するのを
感じてもらって
そのキッカケにしてほしいのです。
やたらと難しい方法では
そんな気もおこらなでしょう。
④ 患者さん自身が、自らの「からだ」に自ら関わっていくような道筋をつける方向を絶えず意識する
③のこととダブルのですが、
施術者が動かすより、患者さんが自分で動かす方法へ
移行していくようにしたりする。
あるいは、「からだ」の変化に私だけが気づくのではなく
患者さんにも感じてもらうように
意識をそちらにむくように促すようなやり方をする
ということです。
以上、
このような方針に賛成してくださる方にこそ
来院していただけるとうれしいです。