ギックリ腰とは
‟急性腰痛症”の俗称です。
急性というの
‟急に発生”した、もしくは、‟最近なった”
くらいの意味です。
腰痛症という言葉も
いわゆる、腰痛、腰の痛みと
私達が普段から呼んでるものと同じです。
つまり、
‟急に発生した腰痛”
もしくは
‟最近なった腰の痛み”
くらいのザックリとした表現ということになります。
この意味で‟ギックリ腰”を受け取ると、
痛みの発生した要因やキッカケは
全く問わないということになります。
重たいものを持ち上げて発生した腰の痛みも、
運動不足で冷えてカチカチになって起こった腰の痛みも、
食事のバランスや食べ方が悪くて腰の気血が悪くなって
起こる腰の痛みも、
内臓の疲れから来るような腰の痛みも、
関節で神経を刺激して起こるような腰痛も
すべて、
同じ‟急性腰痛症”というカテゴリーに
入ることになります。
このように、
痛みを引き起こしている仕組みには、
様々なバリエーションがありえる訳で
単純な一種類の病というわけがありません。
症状の出方や進展の仕方にも
様々なバリエーションがあって当然です。
実際、
‟ズキッとした痛み”を感じるものや
‟キューとした絞るような痛み”を感じるもの
怠いような重たい鈍痛が広く拡がるものなど
様々なものがあります。
経過も
急激に発生して、3日くらいで収まってしまうものや
1週間ぐらいかけて徐々に痛くなり
ひと月くらいかけて徐々に痛みが治まっていくもの
などなどです。
けれども、
‟ギックリ腰”という言葉には
上記のような説明から、
はみ出していってしまうような
ある共通のイメージがあるるように
私は思います。
それは
①【昨日まで痛くなかった腰が、何をキッカケに急激に痛みだす】
という突然襲い掛かってくるイメージです。
ドイツ語の‟ギックリ腰”にあたる
‟魔女の一撃”(Hexenschuss)という語感が
それを伝えてくれています。
(仮に襲撃性のイメージと呼んでおきます)
そして
②【痛み自体が強烈で、痛みが「からだ」全体へ広く拡がっていくような】
痛みの質のイメージです。
(これは、痛みの拡大性イメージと呼んでおきます)
それと、もう一つ
③【痛みが起きて1~2週間もするとほとんど痛みが自然に引いていく】
という漠然としたイメージです。
(これも仮に、痛みの雪解けイメージと呼んでおきます)
これらのイメージは
鮮やかな対比を示していて
強烈な印象を私達に与えています。
この折り重なったイメージが、
‟ギックリ腰”にピッタリのイメージだと思います。
(私は‟ギックリ腰”という言葉に
本質的な部分があるとすれば
まさに、この三つのイメージだろう思います)
さて、
このギックリ腰のイメージですが、
キッカケや原因、要因が全く違うのに
同じようなイメージが括りだせてしまうのは
どうしてなのでしょうか?
要因や発生したキッカケが違えば、
それぞれ全く違う展開をする腰痛として
認識されていても良いように思います。
なのに、
私達は腰痛の一部を、
‟ギックリ腰”という一括りのイメージに
まとめ上げています。
私の考えでは、
ギックリ腰にまといつくイメージには
私達が「からだ」から直接得た感覚に
根拠があるのだと思います。
キッカケや要因を問わずに
起こる「からだ」の共通の反応に
根拠があるのだと思います。
一言で言うと
溜まってきた疲れや淀みが
何かのキッカケで痛みだし
その痛みが痛みを呼ぶ
悪循環が「ギックリ腰」だ
ということです。
この体験が共通の枠を与えて‟ギックリ腰”の
イメージの形成を促しているのだと思うのです。
もっと具体的に書いてみます。
腰は痛くなる前から、
よくよく観察すると疲れがたまっているところや
冷えて血行が悪くなっている所を見つけることが出来ます。
自分で、腰に手を当てて
左右を比べてみてください。
部分的に冷たくなっていたり
肌がザラザラになっていたりするのを
感じることが出来ると思います。
指で腰の筋肉を圧して、
硬さや痛みの左右差を感じてみてください。
きっと
沢山の左右差を見つけることが
出来たはずです。
これらが、
普段から溜まっている
疲れや淀みです。
これらの疲れや淀みが
あるからといって
日常生活で、即、痛みを感じるわけではありません。
けれども、
これらの疲れや淀みを
放出することなく
溜め続けていると
ある一定のラインを越えたところで
痛みや炎症を発生します。
器が一杯になってこぼれ出すようなイメージです。
この痛みが
そのまま現状維持なら良いのですが、
痛みがきつかったり、
発生ポイントがデリケートだったりすると
痛みのせいで、
「からだ」全体の痛みの受け取り感覚が
変わってしまいます。
つまり、
「からだ」が
痛み対して過敏になってしまうのです。
すると、
今まで痛みを感じてなかったところまで、
痛みだし、
痛む範囲が拡がったいきます。
これが、
急激に繰り返されることによって
激しい痛みが、
広範囲にひろがるのです。
この痛みの拡大の仕方は、
発生のキッカケや要因には
関連がないのです。
例えれば、
乾燥した草原に
火を放てば燃え広がります。、
この時、
火元がマッチなのかライターなのかは
関係ありません。
草原が乾燥しているのが
干ばつのせいなのか、
空っ風のせいなのかは
どっちでも良いことです。
大切なのは、
乾燥した草原は
いとも簡単に火が
燃え広がるということなのです。
直接の“要因やキッカケを
越えて、ギックリ腰の痛みの
①襲撃性のイメージ
②拡大性のイメージ
を作っているのだと思います。
さて、
痛みの悪循環がひとしき
「からだ」を駆け巡ると
その痛みを打ち消そうとする反応が
「からだ」に起こってきます。
反作用といっても良いかもしれませんし、
上げ潮のあとには下げ潮が来るのが
当たり前といってもよいかもしれません。
痛みが痛みを呼ぶ悪循環が
逆回転を始めて、
痛みが治まっていくことになります。
これが痛みの
③雪解けのイメージ
になるわけです。
ここまでくると、
ギックリ腰の対症療法と
根本治療が見えてくるはずです。
対症療法としては
悪循環を断つことです。
複雑でないものなら、
ほんの軽い刺激(例えば鍼1本)
だけで、痛みがスルスルと引いて
ほとんどの痛みがなくなってしまった
ということもありえます。
(*これも悪循環の種類や複雑さや強さに
よって変わるのは想像できると思います。)
けれども、
本当に大切なのは根本治療だということも
わかると思います。
普段から溜まっている
歪みや淀みを
減らしていく
溜まらないようにしていくことこそが
本当の根本治療になるということです。
つまり、
ギックリ腰の本当の治療は
痛みが退いてから始まる
ということです。