好循環と悪循環…「からだ」によって選ばれたフィードバック
フィードバックとは
‟フィードバック”
とは、グルグル回る循環を指した言葉です。
スタート地点へ戻ってきた時に
元より増えているのを
正のフィードバックと呼びます。
反対に
元より減っているのを
負のフィードバックと言います。
この増えたり減ったりするということに対して
価値判断を伴わない言葉です。
好/悪循環…価値観を伴う
対して
好/悪循環は、
同じようなグルグル回る循環を
表した言葉ですが、
人間から見た価値観を
伴った言葉です。
グルグル回る当のモノが
増えるにしても減るにしても、
良いことだ/悪いことだ
―という価値判断が入り込んだ言葉です。
“フィードバック”と”好/悪循環”の間に広がる大きな溝
一見似たようにも思えますが、
この差は私たちにとって
とても大きな差です。
作物につく害虫と農薬開発の
循環を考えてみましょう。
害虫が増える
↓
作物が
やられる
↓
農薬をまく
↓
害虫の中から
農薬に耐性を
持ったものが
現れる
↓
再び害虫が
増える
↓
作物が
再びやられる
↓
新しい農薬を
開発して再びまく
↓
害虫の中から
新しい農薬に耐性を
持ったものが
さらに現れる
↓
…
以下循環
です。
この循環は私たち人間にとって
悪循環です。
新しい農薬を
どんどん開発する必要が
あります。
作ったものが
すぐに役立たなくなるという
徒労感だけでは
ありません。
新しい農薬は、
人間に対しても
毒性を強めている
かもしれません。
こういったリスクに
対応するためには
莫大な費用をかけて
調査したり、
分解技術を開発する
必要があります
つまり、
経済合理性が
どんどん失われて
いってしまうのです。
まさに悪循環です。
けれども、
自然という
空間的にも時間的にも
大きなものから
見れば対した変化では
ないでしょう。
耐性の虫が
はびこって
様々な植物を
食い荒らしたとしても
自然からみれば
それも一時的に
正のフィードバックが
かかっているだけです。
ある程度時間が
たてば、
耐性の虫にも
負のフィードバックが
かかってくる
でしょう。
それも、
自然にとっては
良し悪しの問題では
ありません。
つまり、
正/負のフィードバックという
客観的な観方から
好/悪循環の方へ
人間は価値観というテコを
使って
「エイヤッー」と
飛び越えてきているのです。
好/悪循環を作り出す不思議な「からだ」
自然や社会はフィードバックが絡まり合ったジャングルだ
自然や社会の内部には
様々な正/負のフィードバックが入り乱れています。
あるものは、
盛んに働いていて
外から見ても目立った状態のものもあります。
また、あるものは
眠りこけて有ることすら
認められていないものもあるでしょう。
正/負のフィードバックが
背中合わせで互いに抑制しあって
均衡を保っているものもあるでしょう。
複数のフィードバックが
組み合わさって
さらに巨大なフィードバックを
作っているかもしれません。
つまり、
よくよく見れば
社会や自然は
巨大なフィードバックの絡まり合った
ジャングルのようなものなのです。
フィードバックのジャングルからその一部を好/悪循環として私達は切り出してくる
これらの
巨大なフィードバックの
ジャングルから
人間の価値観という
少々荒っぽい力技を使って
その一部だけを取り出したものが
好/悪循環だ
ということになります。
巨大なジャングルから
この循環は良い
この循環は悪いという
基準をふり付けていく
この力はどこからやってくるのでしょうか?
「からだ」が好/悪循環を切り出してくる
私の考えでは、
【自ら感じる「からだ」】
―ということになります。
自ら感じた感覚を蓄えて
良いこと/悪いことを
未来に向かって振り向けるのです。
ちょっと考えてみましょう!!
タバコを吸うことと
ニコチン中毒は
正のフィードバックを形成しています。
タバコを吸う
↑ ↓
ニコチン中毒
自然の視点から
みれば価値は中立的でしかありません。
良いも悪いもありません。
ここに「からだ」の感覚が
加わることによって
価値判断が生まれるのです。
タバコを吸うことの気持ちよさの
「からだ」の感覚に寄り添えば
タバコをどんどん吸う循環に
乗ることは良いことになります。
つまり、
タバコを吸う循環は好循環だ
ということになります。
反対に、
タバコを吸うことによって
「気血」のめぐりが悪くなることを感じ
呼吸が浅くなり、心臓の負担を
実感として感じる方へ
よりそえば
未来の不安をあおられます。
つまり、
タバコを吸うことは悪循環だ
ということになり
循環を断つ方法を
探る旅へと向かうことになるのです。
ここも「からだ」の不思議な力が宿る所なのです。
そして、
私達がより良い状態にありたい
より健康にありたいと願う時
つまり、
好循環の渦の中へ
巻き込まれたいと願うとき
「からだ」の声に耳を傾ける
必要があるのは
こんな理由からなのです。