いわゆる「不定愁訴」は
【病院の検査等で特に異常が見つからないにもかかわらず、なんらかの身体症状を訴える状態】
として使われています。
(キチンとした定義はあるのでしょうか?不勉強にして知りません。)
自律神経失調症とほぼ同じような意味で使われています。
ただし、こちらの方が言葉尻からすると、
体には全く異常がないのに症状を訴えに来る。
しかも、どんどん訴える症状が変わっていってしまう……
というニュアンスを含んでるいるように感じます。
訴えてくるということ自体が症状とでも言わんばかりです。
そう思ってこの言葉を見ると、
訴えてきている心理的な状態こそが病態というような印象です。
本当に不定愁訴は心理的な問題なのでしょうか?
東洋医学の世界から見ると、これは、
【未病の一部が交替で表面化している状態】
と考えて良いと思います。
未病とは、
【現在は、病気とは言えないが将来的に病気になる芽が潜んだ状態】
です。まさに病ならぬ病です。
この未病が様々な症状を引き起こしては消し
また次の症状を引き起こしては消しということを
繰り返しているのです。
例えると
氷山です。
海面から覗いているのは氷のごく一部です。
見えない巨大な氷が海面下には沈んでいます。
この見えている部分が不定愁訴の症状です。
未病の本体は海面に沈んだ巨大な氷の部分です。
なんらかキッカケで、この氷山が回転すると、
今まで、見えていた氷の尖端は沈み、
海中に隠れていた別の症状が浮かんできます。
未病の本体は変わらないのですが、
氷山が回転するたびに、今あった症状が消えて、
次の別の症状が現れてきます。
「やる気がでない」「なんとなく怠い」
といった心理的な態度に見える部分も
水面から覗いた氷山の尖端の一部である症状です。
東洋医学は
望診、聞診、問診、切診と言った方法で、この沈んだ巨大な氷全体を見ます。
臓腑弁証、気血津液弁証、経絡弁証といった道具立てで未病自体を分析・分類します。
その結果、一つひとつの症状に振り回されることなく、氷山自体を小さくしていく方法を見つけてくるのです。
不定愁訴とひくくりにされて、症状だけで対処されていた人々が
≪それぞれが本来違う病?(未病)であること≫
がキチンと認識されます。
そして、その認識をもとに、一人ひとりに合わせた施術やプランを立てることが出来るようになるのです。
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